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明治29年7月1日山陽鉄道KK「舞子公園」(仮駅)として誕生した「舞子」(明治32年4月1日から)駅は階段の右下に「鉄製のポスト」があり,反対側に緑色の公衆電話ボクス)が在った。これは昭和10年代の姿で,駅事務所には「大きなのっぽの古時計」?が時を刻んでおり,複線色灯3位式自動信号機区間なのに「双信閉塞装置」だったか「通票」だったか忘れたが,列車保安を古い機械で行っていた。駅舎は当時少しL型になった待合室があり,ストーブが開戦時まであったと記憶する。駅舎の羽目板から上はオレンジ色に近い壁だったと想うが。ポストは戦争中「鉄材供出」の犠牲となり,木造の大型ポストが駅舎入口の右側に取りつけられた。
現在は「殺風景」な橋上駅の上に,明石大橋取りつけ道路が走り,なんとも言えない「冷たさ」になっているのが,当時を知る者としては悲しい。
兵庫県 60代 男性 C5343
様より 02.11.27 |